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ご飯の時、箸の持ち方もそうなんですが、1皿ずつ片付けていく「ばっか食い」が息子に遺伝してます。





ママはそれを注意するんですが、自分もばっか食いerなので、注意できません。

息子の気持ちがわかります。


口の中で、混ぜたくない風味がある。

この皿を片付けた後は...と、口の中に起きることをちゃんと計画している。


「バランス良く食べる」


....農薬や除草剤が使用された食材をバランスよく食べるより、使われていない食材をバランス悪く食べる方が体に良いと思うんですが。。


...という屁理屈(笑)

胃の中に入れば同じなんだから、と思うんですが(笑)


いや、問題は、一つの事にハマったらそれを深掘りするという自分の修正がしっかり遺伝しているとう事です。気に入った曲は、1日中リピートして聴く。

こっちが狂いそうなくらい、ず〜っと同じ動画や同じ曲を聴いてます。


バランスは悪いのかもしれない。

でも、それくらいがこれからの時代にちょうどいいと思ってます。


社会性どうこうで保育園で生きにくくなったら、休めばいいと思ってます。

休んで、大自然に連れていきます。知識も知恵も大事だけど、向き合う姿勢や継続する力を育てるのはもっと大事でしょう。


そんなことを思いました。


 農業(自然・地球)が教えてくれたことの中に、自分でも核になっているものが2つあります。


『狭い場所で育ったものは小さく、広い場所で育ったものは大きく育つ』

『器に合わせて自分を変えていく』


これは全ての動植物の摂理だと思っています。


いつだったか、うちの寺の住職の説法に出てきました。

「天井が高い部屋のある家から文化人は出る。」



この度縁あって、自分自身の器を最適に拡張していく技術とそのロジックに出会い、3日間学んできました。素晴らしい出会いとご縁に感謝ですm(_ _)m


研修内容は大変恐縮ながら、普段から自分が子どもたちに講話している内容と共通項が多く、自分の考えの方向が間違っていないという証明になった気がして、とても嬉しかったです。





自分自身のマネジメントができないのに、社員をマネジメントできるわけがないですよね、確かに。意志と行動をもって、より良い農業法人を構築していきたいと思います。


↑この最後の「〜していきたいと思います」


実は、極力口から出さないようにしています。

「〜していきたい」だけでも願望なのに、それをさらに「思う」と口にすると、「願望×思い」で自分にかかる暗示が弱くなります。口にするという事はなおさら。


自分はそういう解釈をしてるので、文面にするときは絶対使いません。


「意志と行動をもって、より良い農業法人を構築します。」


これです。本気で向き合い、実践してみます。感想はそれからですね。




「この人はこういう人なんだ。」

「この生き物はこういうものなんだ。」

「この時期はこうなるものなんだ。」

「自分はこの人が苦手だ。」

「自分はこの食べ物が大好きだ。」


高校時代から、すべての文章の最後に「今は」をつけるように心がけてきました。

ピリオドではなくて、あくまで現時点での自分の結論。

変わる可能性だってあるので、可能性を残さないと。


その人や事柄に可能性を残すのではなくて、これは自分の受け皿に対する可能性のこと。

自分が変われば視点や受け皿が変わり、物の見方が変わります。


「当たり前の景色を如何にして当たり前に見ないか」


新しい視点を持てれば、毎日の当たり前も変化します。


ということは、ピリオドは相手に対するピリオドではなくて、相手を観察する自分や物事と向き合う自分に対するピリオドですよね。


言葉にすがりたい時もあると思いますが、すがってしまうとそれが正解になってしまいます。可能性の追求ができなくなってしまいます。


「違うかもしれない」「変わるかもしれない」


自然相手だからわかります、「不思議でOK」の時がほとんどです。


「絶対無理」に「今は」は付くんでしょうか。

そんなチャンス、進むしかないでしょう。




「いつ撒いても、発芽する時期は同じ。」予想は当たりました。

大事に考察して、未来に備えようと思います。