息子が4歳になって、自分も父親歴が5年目に突入しました。
やったことがないことだらけだから、挑戦の連続。失敗しているか成功してるのかどうかは、正直わかりません(笑)
ただ、息子が通う保育園で「集団行動が苦手」と言われています。確かに、めちゃくちゃマイペースというか、もう「何かに集中したらそこから戻ってこない」と言う自分と同じ性質を受け継いでます(笑)
ペンの持ち方も自分と同じ持ち方。ちょっと内股なのも、手相も、目の前の食事をバランスよく食べれず、1品ずつ片付けていくのも、テレビをみると手が止まったり見入ってしまって他の声が聞こえなくなるのも、いろんなところが自分と同じ。
人口が増え続けた日本は、農業においても「必要なこと=拡大すること」という時代を過ごしてきて。それは農協というものがわかりやすいと思うんですが。人口減少してきて、インターネットが普及して、平準化したものほど価格競争に飲み込まれてきて、個性あるものが生き残るという図式が起きています。
そこの波に教育を当てはめると、今の教育っていいのかな?と思うわけです。
「個性を排除する」と言ったら極論ですけど、社会性の中に生きやすい性質を身につける教育になっていると感じます。
先日、教育相談を受けた際に、なるほどなと思ったのが、指導者さんが「学校の先生が叩いてはいけない状態になってるので、家庭でも叩かないでください。家で叩かれることで成長してきた人を、叩けない学校が制御できるわけがない。時代は変わりましたよ。もう昭和じゃないんです」的なニュアンスのことをおっしゃってました。なるほどですよね。言葉を選びながら、核心を伝えてくれた先生に感謝です。
学校がそういう方針や体質。
学校は社会性を学んだり、大勢の中で自分の存在意義や得意不得意(個性)に気づいていく場所であったり、大勢で考察したり、知らない知識を身につけていく中でさまざまな挑戦をして失敗を経験する場所です。それは今も昔も変わらないけど、ルールが変わったのでまずは、「そこに順応する為の性質を子供の中に落とし込まないといけない」、そういうことなんでしょう。
うちの子供は現在、絵が卓越して上手いし、小さい頃から冗談も言えるし、正直、発想センスもあると感じます。もう「そうくるか!?」という視点を持ってて驚かされます。小学校に上がる前に教えるべきは「脳の使い方」だと思っているので、そういう子育てを実践しています。
独り言です。
「言うことの聞き方」だけを身に付けさせると、おそらく、ロボットが普及した時に人としての価値がなくなります。前にもここに書いたと思いますが、コンピューターは1を一瞬で1万にも100万にもする能力があります。でも0を1にできるのは人間だけです。いや、0を1にするAIも出てくるのかもしれませんけど。
農業の場合のこの0は地球ですよね。あ、今はその話はいいとして。w
個性を目立たないようにして社会性の中で生活できるための「言うことをきく」性質を持たせながら、生まれ持った才能や性質を伸ばして、安全に失敗を経験させながら育てていかないといけないと感じています。
比べられるのは性質が一緒だからですよね。
比べられる社会で生きる為の強みを作りながら、比べられない社会に生きる術を身につけさせていきたいと思っています。

笑顔づくりはめっちゃ下手です。「はい、笑って〜?」と言うとこんな感じ(笑)。
不器用なうちはわかりやすくていいですね。w