最近受けた研修で素晴らしい仲間ができました。
仲間に影響を受け...というか支えられ、自分のコミット力が強まっています。

最近思うこと。自分の講話の中でもよく出てくる
「器に合わせて自分を変えていくのが動植物の摂理」
これは自分が農業をやって気がついたことです。根が広がった分、地上部が大きくなる。
また、大きな深い場所で飼う魚は体も大きくなる。
単純明快な”当たり前”の事です。そこから「きっと人もそうだよね」という話をする。
では、「器」ってなんだろう?
この答えは示す事なく、自分で考えて得て欲しいので、講話内ではここで1曲カバー曲を歌って、その後「なぜ同じ曲でも歌う人によって感じ方が違うのか」を感じてもらってます。
自分の為、伴侶の為、家族の為、会社の為、市の為、県の為、東北の為、日本の為、アジアの為、地球の為、宇宙の為...と”意識のコミュニティ”の大きさがあって。
「自分の為にやることが◯◯の為にもなる」のここに入るコミュニティの大きさが「器」の答えに近いのかもしれないけど、よく考えてみてください。
価値観をもって自分は放出します。それを受け取るのは相手です。
相手がイジメだと思ったらイジメ、浮気だと思ったら浮気、悪だと思ったら悪。。
自分は自分の価値観で放つけど、相手は相手の価値観で受け取ります。
自分は5リットルの水を与えたけど、相手に3リットルしか貯まってない。
あと2リットルは相手の器が小さくて溢れてしまったのか、それとも、自分が違う場所に2リットルこぼしてしまったのか。
あるいは、5リットルのつもりだったのが最初から3リットルしか渡してなかったのか。
相手が1リットルでも受け取ってくれたら、それはありがたいことですよね。
「できる限り受け取ります」と言った結果が500ccでも、それはいいのかもしれないし。
ここで大事なのは、自分が放った量より、相手が受け取った量より、向き合っている時点で最高なのではなかろうかと。
この二つがしっかりと向き合っている間に何を感じ、それぞれに意味をつくるのか、でしょう。
”原因自分論”
伝わっていないなら、話してないのと同じ。
解釈は人によって違いますから、価値は自分で作って放っても意味がないです。
でも、ビジネスにおいては、自分で値決めしないとダメですけどね(笑)
相手の価値に任せては大変な事になります(笑)。対価の線引き。
自分的にはとにかく、近くの人の笑顔を守る事にしました。
自分がその人たちの為にすることが、自分の為になる。
それが地域や国の為になるかどうかは、相手が判断してくれればいいです。
もう、人の目は気にせず、突き進みます。
今までもほとんど気にしてませんでしたが(笑)。今よりもっと突き抜けます。
これ宣言。